国際紛争 〜エスニック紛争、中東紛争を探る〜

第6章 介入、制度、地域・エスニック紛争

1.エスニック紛争

◎エスニック戦争・・・・・・・・国家や地域機構、非国家主体のような共同体間の紛争  ◎エスニックグループ・・・・・共有の歴史的記憶・共有のシンボルをもつグループ
  *コンストラクティヴィスト・・・「エスニシティ(民族性)は社会的に構成される→エスニシテ                   ィが絶対に戦争につながる事実ではない」
  *Sigmund Freud ・・・・「エスニックな区別=わずかな差異のナルシズムによる」
  *John Mueller・・・・・・・暴力的集団の役割を強調、「エスニック戦争」の概念そのもの                  が不適切だ
  *Stuart Kaufman・・・・多くのエスニック紛争は「一方または双方が強調より紛争を望ん                 だから」起こるのだ
☆結論
⇒大多数は紛争調停のための既存の仕組みが崩壊するときに発生する。
⇒初期段階における安全保障のディレンマ=暴力を望む者による情緒的なシンボル操作 から生じる。

2.介入と主権

  0.前提    根本規範(国際法)   主権国家の内政に対しては非介入  
  1.介入の定義 
◎最広義   「介入とは主権国家の国内問題に影響を与える外部の行動を意味する」  ◎定義の度合い

     〈例〉
@・A  1990年・・・ ブッシュ大統領による「打倒サダム・フセイン」呼びかけ
B        冷戦期 ・・・ 米ソ、各諜報機関の外国選挙への援助資金投与 
           (ex.‘70年 米→国大統領選での資金投与
C   ヴェトナム戦争初期・・・ 米、経済援助→軍事援助への切り替え)
D   2001年同時テロ・・・米、9.11を受けてアフガニスタンの現地勢力の「タリバン政権打                 倒」を掲げ、  空軍・地上戦へ
E   1979年・・・ ソ連によるアフガニスタン侵攻

◎まとめ        
介入にともなう強制度に注目することは大切である。なぜなら、強制度に応じて現地の人々の持つ選択の幅が影響され、現地の自律性に対する外部からの制約の度合いが影響されるからである。

  2.主権
◎法的意味・・・領土の至上の支配 ⇔ 実際・・・政府による国境内の支配は「程度」の問題          にとどまる
             ⇒効果的な政府でも、領域内で起こるすべてについて完全に支配すること             は不可能である
(理由)@国際的相互依存A経済的相互依存 B時には介入が自律性を高めることもある

◎まとめ    
⇒主権と自律性と介入の間には極めて複雑な関係がある

    3.介入の評価

  4.「非介入」原則に対する例外
@予防的先制攻撃

⇒国家の領土的一体性&政治的主権に対する「明らかで十分な脅威」が存在すれば国家は直ちに行動せねばならない。
Aすでに起こった介入を「相殺」する目的で行われる介入                  ⇒ある種の介入によって一民族が自己運命を決定できなくされているとすればこの介入を「相殺」する対抗介入は、「その民族の自決権を回復できる」ので正当化される。
B虐殺の危険にさらされている人々を救助するために必要な介入
⇒ 虐殺されようとしている民族の自律性、権利を守り、尊重するためでよい
C分離主義運動が自らの代表性を証明したときの「支援」介入               ⇒「個々人の諸権利を束ね、国民としての自律性を発展させたい」ということを支援することなので良い。

<cf. 予防的先制攻撃 と 予防戦争 の違い >                        *予防的先制攻撃・・・ 戦争が今にも起こりそうなときに発生する            *予防戦争     ・・・ 今仕掛けたほうがあとで仕掛けるよりもよい、と「政治家が                    判断したとき」に発生する戦争

  5.自決の問題点
◎自決の定義       「民族が自らの国家を形成する権利」
◎問題点       @誰が決めるのか? 
             A決めるとされる「自ら」とは誰なのか?
                       Bどこで投票を行うのか?
             C何を決めようとするのか?
◎まとめ
⇒民族自決とはあいまいな道義原則である。
⇒内政面の自決権=一定の文化的・経済的・政治的自治。

⇒自決権の絶対的要求は、よほど慎重に扱わないと、すぐに暴力の源となる。

  6.動機、手段、結果
⇒介入をするかどうかの判断を下す前には、動機、手段、結果の3つすべてが考慮されねばならない。(正戦論の伝統)

☆結論
⇒非介入原則という規範は依然として重要。
⇒非介入への例外は、それぞれのケースごとに「動機、手段、結果」を検討することで判断されねばならない。

3.国際組織と国際法
                   
 1.国内社会との類推

◎法の執行と裁判・・・国際法≠国内法
     *執行       裁判所の決定に国家を従わせる「行政府」なるものは存在せず                   ↑国際政治は「自助のシステム」だから。
    *裁判       国家のみが提訴可能。
◎国際組織の弱さ・・・国際組織≠世界政府
     *ICJ        国家は自国の利益にならなさそうな裁判は、司法権を拒否できる     *国連総会     一国一票の原則・・実際的な国際社会の権力関係さえ反映せず    *国連総会決議  勧告のみ可能。強制はできない。      
     *事務総長     ローマ法王の権力にちかい   

◎まとめ
⇒国際法は基本的に国際政治の分裂傾向を反映している。
⇒主権国家は自助の領域に存在し、力と生存の領域に存在している。

  2.予測可能性と正統性
◎国際法の利益 ・・・@予測可能性 A正統性
⇒@私的な衝突を、国際法に基づいて処理することで「非政治化」し予測しやすくすることが   できる
A国家は国際法や国際組織に訴えて自国の政策を正統化しようとする              正統性はソフト・パワーを増大させる

  3.‘56年スエズ危機
⇒国際法と国際機関の役割に関する重要な歴史的事例
  *〈別紙1〉 参照。

  4.国連の平和維持と集団安全保障
◎領有権の権限
⇒国連は自衛のためor集団安全保障に関与する時を除き、武力による威嚇・武力の行使を違法化。
◎予防外交
⇒冷戦期に集団安全保障のシステム機能しなかったことを受けてうまれた考え方。
⇒国連が国際的部隊を招集して、交戦国の間に割って入らせる。
⇒ある国が一線を越えたら国連が介入、どちらが悪い云々は問わず、とりあえず当事者を引き離す。
◎平和維持活動
⇒小国の軍隊を使用。大国同士を直接紛争に関与させない為。 

 *注*
予防外交と平和維持活動は重要な革新であり意義深い役割を担っているが、集団安全保障ではない!
◎国連の効果
政治的効果
危機における関心を集中させる効果
◎国連の問題点
・エスニック紛争への中立の軍隊の介入がいつもうまく機能するわけではない


◎まとめ

集団安全保障の考え方がかつて考えられたほど綺麗に当てはまらないとしても国際法や国際組織を切り捨ててしまうのは間違いだ。これらは、無政府的な国際システムにおける政治的現実の一部だからだ。

4.中東紛争

  1.中東紛争の原因 
⇒ 宗教、バランス・オブ・パワー、ナショナリズムの全てが関係している

@宗教
     ex. 1980年 イラン=イラク戦争 ・・・ 国境沿いの水路領有権をめぐる争い。

         
     ⇒国境を越える宗教運動が、「サダム打倒」の目的で結束した例。

Aバランス・オブ・パワー
     ex. 1980年 イラン=イラク戦争 後期

      cf.米;レーガン大統領
サウジアラビア・ヨルダン→イランの革命勢力をより恐れていた。その為イラク側へ。
シリア→力をつけつつある隣国イラクに対して遠方にあるイランに以上に懸念を持った。
アメリカ→イランの力の増大を憂慮。
イスラエル→イランもイラクも恐れていたが、イラクの方が地理的により近接する脅威。
  ⇒「敵の敵は味方」の論理が考慮された例。

Bナショナリズム
◎発端 
 
@既存の文化の中で、周辺的で自らの位置に確信のもてなかった人々の間で生まれる   Aしばしば知識人や非主流の宗教集団から始まる

ネーション
多様性な源泉をもつ、何がしかの「一体感」を共有して国家となるべ き
を主張張する集団。
◎ナショナリズム
国家の正統性の決定的な源泉。(近代世界)権力闘争に使われる政治的用語でもある。


⇒自らの民族的権利を主張すること&それを敵に対する「武器」として使用することが可能。
歴史的経緯
・発生        フランス革命
・〜19世紀中葉  「それぞれのネーションが国家をもつべきだ」の考え方が主流。
・WWU以後    「国家がネーションをつくる権利を主張」し始める。
           ⇒ナショナリズムという同一のイデオロギーが殆ど正反対のことを正当              化する為に使われた
・植民地解放運動期 「汎○○」を基盤にした自己意識の萌芽。汎アラブ主義etc。
                  ⇒汎○○運動のロマンティシズムは混乱をもたらす勢力として残る

2.アラブ=イスラエル紛争
⇒異なる民族意識を主張する2つの民族集団の間で、猫の額ほどの土地をめぐって6次に  及んだ紛争。                    *テキストp.219地図参照。

0 前段階(近代以降)
イギリスの多重外交による混乱
フセイン・マクマホン協定(1915年)→トルコ領内のアラブ人が独立運動を起こすことを条件                       にアラブ人の独立国家を約束
・バルフォア宣言(1917年、WWT中)→イギリス政府はパレスチナの地にユダヤ人の母国                         を建設することに協力すると約束。
WWU中のヒトラー・ドイツに対抗(1939年)→アラブの支援が必要になった為、アラブ人に                            ユダヤ人の移民制限を約束。
WWU終了後(1948年)→イギリスはパレスチナにおける混乱問題を国連に丸投げした。(                 英の委任統治終了)

@第一次中東戦争(1948年)
⇒イスラエルの独立宣言。近隣のアラブ諸国は分割を覆そうと攻撃を開始。約8ヶ月続く。パレスチナ委任統治領の殆どがイスラエルのものになる。結果、パレスチナ難民の大流出、汎アラブ感情は次期戦争での復讐に盛り上がる。

A第二次戦争(1956年)
⇒スエズ運河の支配権をめぐる争い。エジプト・ナセル大統領 vs 英仏+イスラエル。米はノータッチ。国連の平和維持軍の投入により集結。平和条約締結はせず.

B
第三次戦争(1967年)
⇒通称・6日間戦争。期間こそ短いが、その後の領土問題を形成した為、最も重要な戦争である。イスラエルはシナイ半島全域、ゴラン高原、ヨルダン川西岸を獲得。パレスチナ難民激増、PLO議長にアラファトが就任。対イスラエル・テロ活動が激化。

C
第四次戦争(1969〜70年)
⇒消耗戦。イスラエル−エジプト間で空中戦。次第に膠着状態となり、下火に。

D第五次戦争(1973年)
⇒通称・ヨム・キープル戦争。エジプト・サダト大統領は、平和的和解の一歩を踏み出す為の「心理的勝利」を求めてシリアと共謀し、奇襲攻撃に成功。イスラエルも反撃。ここで米ソの介入。1978年、米カーター大統領の調停でエジプト−イスラエル間のキャンプ・デーヴィット合意。シナイ半島はエジプトに返還決定。エジプトは反イスラエル連合から離脱。エジプト・ナショナリズムが汎アラブ主義に勝利。

E第六次戦争(1982年)
⇒イスラエルのレバノン侵攻。PLOはレバノンに拠点を置いていた。

◎まとめ
⇒エスニシティ、宗教、ナショナリズムの絡む地域紛争は、苦渋に満ちた、解決の極めて困難な紛争になりやすい。
⇒極端が支配する世界では、信用と協力は困難である。囚人のディレンマこそ、このような地域政治を正確に映し出すモデルである。
⇒(外交面)冷戦は地域紛争を悪化させたが「停戦の斡旋」という意味で安全ネットを張った

3.1991年湾岸戦争とその余波
◎発端
⇒サダム・フセインのイラクによる、クウェート侵攻。サダムは、クウェートの石油利権を取ることでイラクの経済問題を解決しようとした。


◎結果
⇒国連の「集団安全保障ドクトリン」適用決議でサダムは一ヶ月でクウェート獲得をあきらめる。


◎効果
⇒国連の集団安全保障のドクトリンを復活させた。

⇒他の同様の越境型侵略の抑止につながった。
⇒イラクの大量破壊兵器能力を完全に使えるようになる前に破壊できた。

◎問題点
⇒中東のバラバラな国内政治と弱体な国内社会から発生する紛争を解決することはできなかった。

◎余波
⇒PLO暫定自治協定の調印(警察権を含む自治権がアラファトとPLOに移譲された)、そしてイスラエル・ラビン首相暗殺

⇒和平プロセスを妨害しようとする原理主義者「ハマス」への力の付与
⇒アラファト−イスラエル・バラク首相間での和平交渉失敗、再び暴力頻発

☆結論
⇒中東地域の現状には、リアリストのモデル−パワーと安全保障をめぐる他国との競合−にしばしば合致している。
⇒宗教や人種、経済的未発展、そして国民の圧力が、依然として中東の政治を不安定にしている。
⇒専制的政府は、その権威に対する国内的な原理主義者の挑戦に直面し、内乱勃発の脅威にさらされている。
⇒中東でのさらなる紛争は、大いにありうることである。